ロシア旅行(39)

※ロシア旅行(39)<五日目>-2004.9.30-

14:00 過ぎ、船は静かにスタートする。 フォンタンカ運河
を遡る感じで、ネヴァ川に向かう。 進行方向左手に、丸い
ドームにピンクの建物、「ボリショイ・サーカス」が見えて来た。

ボリショイ・サーカス

 古い歴史をもち、1877年の創立。 「フォンタンカのサーカ
 ス」の愛称で親しまれている。 開演は基本的に19:00か
 ら。 休日、祭日は、1日3回の公演がある。 実はサンクト
 ペテルブルグがボリショイ・サーカスの根拠地であることは、あま
 り知られていない。

暫く、左右の古い建物を眺めていた。 やがて、左手に華や
かな感じの建物が見えて来た。 「ミカエル城砦」である。

ミカエル城砦

 またの名を、「工科大城砦」というミカエル城砦は、18世紀
 末期の独特な記念建築の一つである。 1796年にロシア
 皇帝に即位したパーヴェル1世のため、4年かけて、1800
 年11月に完成し、ミカエル城砦と名付けた。 しかし、城砦
 に移り住むや、僅か40日後、パーヴェルは真新しい寝室
 で、貴族達の陰謀によって暗殺され、折角の新建築は空家
 となった。

 そんな状態が20年以上も続いたあげく、建物は陸軍工科
 大学に移譲された。そのため、工科大城砦と呼ばれるよう
 になった。 現在は、ロシア美術館の分館となっている。

船は静かに進んで行く。 今までは、船室のガラス越しに撮
影していたが、ガラスに反射して旨く撮れない。 やむなく、
船室を上がり、後部甲板に出る。 風が出てきて、少し寒い
が辛抱する。

やがて左手に、鬱蒼とした森が見えた来た。 ガイドさんの
説明によると、その中は「夏の庭園」とかで、1704年ピョー
トル1世が自ら指揮をとって造園させたとか。 造園の習慣
がまだない時代の事で、「皇帝の菜園」と呼ばれた。

庭園の外れに、1714年「夏の宮殿」が完成した。 それま
では、庭園内の「丸太小屋」に仮住まいしていた。 ピョート
ル1世は熱烈なまでに海を愛し、常に水辺に居を構えたと
いう。 夏の宮殿も、ネヴァ川にフォンタンカ川(運河)が流
れ込む、そのすぐの河岸に立っている。 フォンタンカ川は、
もとは名無しの小川であったが、庭園の噴水、つまり「フォ
ンタン」の水源になったことから、この名が付いた。

さて、宮殿の傍の橋をくぐり抜けるとネヴァ川に出る。流石
運河と違って広い。 下流の遥か向こうに、黄金色に輝く
尖塔が見える。 ペトロパヴロフスク聖堂の尖塔である。
(聖堂の説明は明日いたします)

サーカス・フォンタンカ運河・サンクトペテルブルグ(船窓より)

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フォンタンカ運河沿いの古い建物

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ミカエル城砦(別名・工科大城砦)

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追加画像は下記をクリックして下さい

森の奥は夏の庭園へジャンプ






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